下條村の親田地区に引越しして早や5年。
今まで元の地名である「青見平」を使ってきましたが、5年という歳月を一区切りと考え、気持ちを新たに名称変更をすることになりました。
名称は
「親田高原のたまご屋さん」です。
当たまご屋のオーソドックスな「地名」のたまご屋さんという命名方式ですが、この地で末永くやっていくつもりです。
もちろんやっていることや卵の味などに変化はありません。
「美味しい」「味がしっかりしている」と皆様に卵の味を楽しんでいただけるように精進してまいります。
今後ともよろしくお願いいたします。

やっぱり一番はたまごかけご飯です。
そういえば
先月末日に3人目が生まれました。
自宅で。
もちろん家族のみではなく、助産師さんに付いてもらってです。
名前は「ヒロ」君です。
しばらくバタバタしていますが、どうぞよろしくお願いいたします。
昨日、我が家に新しい家族が増えました。
新潟からやってきた柴犬の「白」です。
実は、我が家のおかき♂とは兄弟で、1つ上のお姉さんにあたります。
養鶏の師匠がわざわざ片道8時間くらいかけて我が家までやってきて届けてくれました。
滞在時間はわずかでしたが、犬のこと、ニワトリのこと、卵のこと、様々な話をして時間が足りませんでした。
お互い、ニワトリを飼っているのでなかなか時間を取るのが難しいんですよね。。。


やはり兄弟だけあって、そっくりです。
でも微妙に違うのですが。
ブログ、更新してると思っていたら、「下書き」という設定になっており、書き溜めてたふうになってしまいました。
一気に更新みたいになってしまいましたが、もしよければ下のほうにスクロールして長い記事をお読みください。
昨日の夕方、突然やってきた芝ヤギ君。
少し前にいただけることになっていて、離乳がすむまで預かっていてもらい、そのあとウチに来る予定でした。
が、昨日の朝、そろそろいいよ~と連絡があり、迎えにいこうかなぁと思っていたら、その日の夕方に近くにくる用事があるとのことで、つれてきてもらえることに。
で、夕方といっても、もう暗くなる寸前でしたが、やってきました。
思ってたより小さい。そしてかわいい。
オスなので山羊乳の楽しみは無いですが、草刈隊として頑張ってもらいます。




息子と同じくらいの背丈です。
「あぎーかわいー」と申しておりました。
名前は、まだ未定です。
そのうち更新します。
すっかり忘れていましたが、たまご屋ファミリーには「ねずみ対策本部長」がいます。

黒猫のジジ
ではなく「あらめ」です。
ウチに来てもう1年ちょっと。去年(2013年)の7月に生まれて2ヶ月ほどでウチに来ました。
来たときはまだ子猫で、人恋しくずっと淋しがっていましたが、そのうち鳴れて家の周りを徘徊。

子猫時代
ちゃんとねずみを捕らえているのを何度か目撃しています。

そして、もう数ヶ月前ですが、なんと子猫を2匹生みました。
ウチのネーミングはご存知のとおり「食べ物」です。(もーの趣味です)

見た目から、まるで海苔が巻かれているので「おにぎり」と「おむすび」に命名。
いつからねずみを捕ってくれるでしょうかね~

息子の良き遊び相手でもあります。
こんにちは。僕、「おかき」と言います。
新潟生まれ、京都でちょっとの期間を過ごした後、ここ南信州の青見平にやってきました。
飼い主の「もー」さんが、飼う動物には食べ物の名前を付ける主義なんです。
新潟と言えばコメどころと言うことで、茶色のコメ菓子の選択肢「せんべい」、「あられ」などあったんだけど、呼びやすさとかから「おかき」に決定。
2011年1月2日生まれで、今、4ヶ月半齢です。(2011年5月15日時点)
一応、両親とも純柴らしく、僕も生粋の柴と聞いてます。
これが京都に来た頃の写真です。
まだ、耳がたれてて、鼻も短かった・・・体重は2.5kgくらい

眠たくて、眠たくて起きたと思えば

また寝ると、良く寝てました。

新潟生まれとはいえ、京都に来たときはまだまだ寒くて、人肌(犬肌か?)も恋しいのでこんな風にしてもらうこともしばしば

ちょっと前まで、おうち(ケージ)に入れられるとこんな風に抵抗してました。
たまに歯が挟まってびっくりもしますが・・・

長野にやってきたのは2011年3月5日。体重は3.5kgくらい
すぐに地震に遭ったけど、全然怖いもんじゃなくて、眠気が勝ってたかな?
外に出ると嬉しくて嬉しくて、モグラの穴とか一生懸命掘りたくなります。怒られるけど、性ってやつです。
最近はめきめき大きくなって体重が8㎏くらいになりました。

まだまだ、人に会うと興奮してまわりが見えなくなりますが、今、「番犬」修行真っ最中。
よろしくワン
はじめまして、もーといいます。
2011年3月にここ阿智村の北青見平の地に参りました。
生まれは埼玉でサラリーマン家庭でぬくぬく育ち、
ひょんなことで神奈川の農業系の大学へ。
それが人生の転機。
牛と出会い、惚れ、共に過ごし、酪農家になろう!と決意。
したものの、今の酪農事情の問題点の前に挫折・・・。
卒業後は牛のこと考える前に自分はどうなの?という疑問から、地元埼玉の有機農家で研修をしながら自然食品店でアルバイトをし過ごす。
その合間に、かねてからの希望であったヨーロッパの酪農を見にドイツへWWOOFしに行ったりも。
ここに来る前の一年間は北海道で3ヶ月だけ過ごした後、相方の実家のある京都で就農地探す。
そんな経歴です。
相方は大学の先輩であり、(自称)なんでもできる尊敬すべき人であり、ちょっとやり過ぎだなと思う存在であり、以外とおもしろいところもある存在でもあります。
二人とも牛が好きですが、前述のように牛はあきらめ、牛よりずっと小さな鶏で卵をとり、果樹を植え、その下で鶏を飼って行く有畜複合経営をめざし第一歩を踏みだそうとしています。
(でも牛を飼う夢は捨てません!)
私は食べ物と動物が大好きです。
ただ好きでかわいがる人間の一方向的でなく、どちらもが満足のいく形とはどういうものだろうと考えています。
その手段が私にとって百姓になるということで、私たちがやろうとしているたまご屋さんです。
にわとりを飼い、卵をいただく、最後には肉としてもいただく。
それってかわいがってる?って思う人がいるかもしてませんが、私は動物をコテンってただ死ぬまでかわいがることが動物にとって幸せなことだとは思わないのです。
動物にも役割があると思います。
その役割をしてこそ幸せなんではないかと自分は思っています。
所詮は弱肉強食です。誰かが誰かを食べてこそ命はつながるという事実を否定できる生物はいないはずです。
にわとりの役割は卵とお肉。
でもそれを私たちがいただく一方じゃにわとりが幸せなはずありません。
健康でおいしいものが食べられて、走り回れて、友達がいて、恋いができる・・・そんな人生ならぬ鶏生であったならば幸せだと思うのです。
人間も同じですよね?
そんな幸せなにわとりがいるたまご屋さんをめざしております!
それがたった20数年生きただけの若輩者の今現在の考えです。
どうぞよろしくお願いします!!
こんにちは。
長野県南部、阿智村で放し飼い養鶏に取り組んでいる「こう」といいます。
実家は京都で、非農家出身。ただ、実家のまわりは田んぼが多かったけど、新興住宅地の造成真っ最中。
家には2aほどの畑と果樹が植わってる庭があって、小さいころから田んぼまわりで遊んだり、土をいじったりと農産には触れていた事が多かったかな?
高校は京都府立農芸高等高校、農業高校です。高校での専門は動物バイオ、動物バイオって・・・
初めて牛を飼育することになり、牛の魅力に取り憑かれ、将来的に牛飼いになりたいと思いつつ、大学に進学。
大学(日本大学生物資源科学部)では、家畜飼料の自給率の低さから牛の飼料について学びたいと、植物資源科学科(ほぼ農学科?)に入学。ただ、3年から所属する研究室は花卉園芸学で「ミニバラの培養」に関する研究を行った。なぜ花だったのかについてはまた後ほど・・・
そして、3年間の社会人生活。
大学時代から農家実習や、バイクでのキャンプツーリングでの縁もあり、北海道の企業に就職。
なんと4大卒にもかかわらず、研究職という立場に抜擢(いや、消去法か?)され、個人的には合ってる(と思ってる)研究にいそしみながらの生活。
実際、仕事もおもしろく職場の環境も良かったんやけど、それでも農業がしたいと卒サラし、就農地探しへ。
出身が関西のため、関西が大好きなこともあり、関西近辺(というか中部以西)での就農地探し。
岡山や徳島や、地元京都でのちょっとしたつながりがあったものの、なかなか決定打にならずふらふら~と。
それが、2010年夏頃、相方から「阿智村が良いらしい」との情報を得、とりあえず役場の門を叩く。
と、そこで市川さんという南信州阿智有機農園の園主に出会い、人柄に惹かれる。そのほかにもいわゆる有機栽培(無化学肥料無農薬)で新規就農されている方が多いことも、その方々と話してみた時の感じの良さにも好感触。
また、相方(もー)と相談していた
①水が美味しい
②空気がきれい
③中山間地である
④出来れば小川が流れている
⑤やっぱり消費地に近い
のほとんどの条件を満たしているということもあり、かなり阿智村を気に入って、本格的に阿智村を検討。
偶然にも希望に近い物件(家と農地)が見つかり、無事契約終了。
晴れて2011年3月から阿智村民となり、現在、100羽の採卵養鶏をしています。
自然を生かしたニワトリの世話をしているので、四季の移り変わりがタマゴに表れます。
四季の恵みを是非ご賞味下さい。
今後ともよろしくお願いします。
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