長野県下條村で放し飼い養鶏やってます。日々の出来事、思ったことをつらつらと。。。

支援米プロジェクト 支援米をいざ被災地へ

こんにちは。
しばらくでした。

(記事を書き終わって投稿する段階で間違った操作で全部消してしまいました。)
(ちょっと気力が無くなってしまって、ほんまはもう少しいろいろ書いていた気がするのですが、思い出せません。)

さて、だいぶ前に記事に書いた支援米プロジェクトですが、脱穀・精米をし、被災地に持って行ってきました。

出発は24日夜、帰宅は27日深夜。強行軍でした。。。

支援物資は、支援米プロジェクトのお米330kgと頂いたお米約200kg、リンゴ、柿、馬鈴薯、サツマイモ、防寒着、タオル、その他。
これらを南三陸町(志津川)と気仙沼市2カ所と合計3カ所に届けてきました。

放射性物質の怖さもあったのですが、やはり、「送りつけてハイおしまい」だとちょっと違う気がして。
やはり、行ってちょっとでも話を聞いてどんな様子なのか、どのような経過があって今の状態なのかと言うのをブラウン管越し(・・・ウチにはテレビ無いけど)じゃなく聞きたかったのもあって、行ってきました。

で、感想ですが・・・何も言えない、と言った感じです。
もちろん、いろいろなメディアから津波の爪痕の動画や写真は知ってました。
が、志津川では浄水施設が津波をかぶったため、9月まで水道水が(塩分が混ざってて)飲めなかったとか、いまだに商店が運営し始めたところがあるだとか。
本当に、想像も出来ない苦難がありました。

もう、311から9ヶ月ほど経つと言うのに、一部を除き全く復興と言う文字が見えてきませんでした。当初の瓦礫ヶ原の状態よりは一部片付いているのかもしれませんが、初見としては大変な状態でした。
インフラ整備や津波瓦礫の撤去など、本当に時間と手間とお金と精神力の必要な事だと言うのはわかるのですが、被災者にとっては、なかなか進まないというのも厳しいと感じます。市町村側にも本当に苦難があるのだと思いますが。。。

被災地支援2
出発前に写真を。写真左から阿智ファームの品川さん、支援米プロジェクト代表と南信州阿智有機農園の市川夫妻、そして阿智村地域おこし協力隊の牛丸さんです。私を加えて5人で行ってきました。

被災地支援1
荷室はぎっしりです。自分らの荷物が載らない・・・

被災地支援3
南三陸町の志津川で支援米約150kgとリンゴ約60kgをお渡します。
物資を託すのは「さかなのみうら」さん。今回コンタクトを取ったのは窓口役のボランティア?で働いている嶋津さん。

さかなのみうらさんは現在、仮設住宅、個人避難宅(津波被害は無かったけど社会的インフラが無いので困っている方々)などに物資を届けているそうです。なかなか日用品も手に入りにくいみたいで、大変そうでした。
また、漁港が壊滅したため漁獲(一次産業)が出来ず、それに続く加工(二次産業)、流通・サービス(三次産業)が滞っているという状況を話してくれました。本当に、船および港、それに続く流れが復活することを願うばかりです。
また、放射性物質に対しても考えているみたいで、過去3回の海洋調査を行い、若布、昆布、銀鮭などの放射性物質の含量を調べたそう。で、結果は3回とも不検出。次は来年1月に予定されているのだとか。
でもこの検査、1回あたり40万もするとのこと。先を見通して考えられていることに頭が下がります。ただ、きっと三陸産というレッテルから売れないんだろうとぼやいておられたのが心に残りました。
本当はこうやって真剣に生産者と消費者という立場で考えられている方こそ、報われるはずなのに・・・
本当にどうすれば良いのかわからないです。

被災地支援4
志津川近くのコンビニ。河口付近で津波によって流されたみたいでしたが、いち早く再開したようです。こういうとき、コンビニの物流ネットワークというのは強いのでしょう。

被災地支援6
気仙沼でNPOネットワークオレンジさんに物資をお届け。

被災地支援5
そして配布用に仕分け梱包作業です。

被災地支援7
支援米、リンゴ・柿、サツマイモ・馬鈴薯のセットです。これにその他日用雑貨が入ります。

被災地支援8
配布作業の後、気仙沼の市街地をふらっと見て回りました。
同じ場所でも建物によって全壊、半壊、浸水と分かれていましたが、浸水・半壊でも目を覆いたくなるような状態でした。
このような状態で、一体どうすれば元の状態に戻るのか想像もつきません。

被災地支援9
ちょうど行った日(26日)にオープンした復興屋台村に行ってきました。

被災地支援10
中はにぎわってます。

被災地支援11
市街地から少し離れた港の方へ。この辺は本当に壊滅的でした。
地盤が沈下したのが元の地面は浸水したままで、上に盛り土をして道路が造ってありました。

PB262877.jpg
住宅地も、基礎しか残ってない状態でした。信じがたい不思議な光景です。

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学校が津波に襲われたようでした。3階(一部4階)まで津波が到達したことがうかがえます。

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校庭には流されて来た家がありました。この家の持ち主は今、どうしているのでしょうか。

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縁あって仮設住宅のお祭りに顔を出すことができました。そこで、秋刀魚、メカジキの刺身、若布などを頂きました。

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メカジキを食べたのは初めてですが、生(冷凍してない)ということもあってか、脂ののった部分と、赤身の部分がとても美味しく感じられました。このような海の幸が今後どうなるか、不安です。

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ちょっと畑が広がっているところでは、基礎と、草だらけの農地がありました。この農地は今後どうなるのでしょう。

PB272912.jpg
大船渡の町です。ここも水(海水?)によって浸水してました。

PB272916.jpg
港にあった展望台に登ってみました。途中、手すりが引き波によってへし曲げられているところがありました。

PB272920.jpg
展望台のてっぺんには千羽鶴がありました。誰が誰にどのような意味を込めて送ったのでしょうか。鎮魂でしょうか。

PB272925.jpg
展望台付近は公園のようでしたが、木は根こそぎ無いか、幹が折れている状態でした。きっと引き波に持って行かれたのでしょう。この木は桜ですが折られながらも残ったようで、緑の葉っぱもありました。
この木のように、粘り強く生きていければと願います。


今回、ガイガーカウンターを持っていきました。
高速道路での移動中、SA、志津川や気仙沼、陸前高田、大船渡など、色んな場所で線量を計測してみました。
購読道路では、郡山から福島付近で、最大0.9μSv/hでした。が、志津川、気仙沼、陸前高田、大船渡など、これらの場所では0.08~0.2μSv/hと、阿智村よりもちょっと高いくらいでした。
が、泊まった場所(一関市室根)は、地上1mの空間線量は高くても0.2μSv/h位なのですが、雨樋の水の排水溝付近(地表1cm)で4μSv/h、近くの畑の側溝(地表1cm)で2.9μSv/hという高い値でした。
これらの場所でも、30cmほど離れると値は急激に下がりました。このことから原発由来のセシウムなどと考えられるのですが、敏感な子供達のより近くに放射性物質が存在することには本当に驚きました。
市街地で測ったときに線量が低かったのは、雨などで流されてたからかもしれません。自然と隣り合わせで大事に向き合ってきた農村が皮肉にも刃を突きつけられていることに憤りを覚えてしまいます。

この事態はどのように進んでいくのでしょうか。

コメント

おつかれさまでした。

はるばる遠いところから、温かな気持ちのつまった物資を届けてくれる
その事実がきっと被災地を勇気づけたことでしょう。
現状は、ご覧になったとおりです。
あまりに大きな被害に、少しずつの歩みですが、人とは強いものですね。
福島でも、農家さんは頑張っています。
これからも、どうかよろしくお願いします。

  • 2011/12/10(土) 00:33:24 |
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  • ひぃ #diGopUnw
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