長野県下條村で放し飼い養鶏やってます。日々の出来事、思ったことをつらつらと。。。

命を頂くワークショップvol.2を終えて

先日、11日と今日12日に「鶏と麦の宴 2014' ~幸せの鶏編~」の第2弾を行いました。

前回来れなかった方も参加いただき、2日間で30人以上の方にいらしていただきました。(前回をあわせて70人くらいかな?)
来られた方は勇気を持って参加したのはいいけど、「やっぱり命を奪うことが出来るのか?」と不安げな方ばかり。

「飼育環境やエサの内容」

これが
ニワトリ達の健康と、美味しいたまごを作っているという事実。
実際、ヨモギの香りがしたり、黄身の色や味が濃くなったり薄くなったりと、タマゴ(おそらく肉も)の味は食べた餌で決まります。

と言うことは
「私たちの体がそれまでに食べたモノで出来ているということ」

これを説明し、やっぱり食べ物は大切だよね。というお話。


そして、鶏はいわゆる「動物」で、命を奪う時に苦しんだり、暴れたりします。
他の動物も、ヒトも、もちろん苦しみ、その苦しみから解放されたいがために、一生懸命暴れて逃れようとします。
確かに、これを見ていると、残酷だなぁって思います。

対して植物は、真っ赤な血を出したり、暴れたり、苦しんだり、悲鳴を上げたりはしません。
でも、それらが出来ないだけで、体の一部を奪われたり、命を奪われたりしているのが事実です。

私たちが生きるためには、他の命を頂いて、それを食いつないで生きていくしかないのです。
菜食主義だろうと、命を奪いながら生きているのが実際のところです。

(大抵は)育ててくれた人、運んでくれた人、加工した人、調理した人、(どこかで)命を奪う人がいて、目の前に食べ物があるわけです。

なので、食べるときには命に感謝して「いただきます。」
食べ終わったときは、その命を繋いでくれた人(育てた人、運んだ人、加工・調理した人)に感謝して「ご馳走さまでした。」
このことを、少し頭の片隅に入れていただければなぁ~というお話。



こんな話を中心に、鶏を捕まえ、縛り、命を断ち、皮を剥ぎ、一般的なお肉の状態まで持っていくと言うことをしてもらいました。

そして、自慢のタマゴで、美味しいたまごかけご飯を食べてもらい。
数日前に仕込んだ、鶏で取った美味しいスープと、自家製粉の自家麦で打ったうどんを食す。

本当に命がこもった食事を、みんなで食べて、語り、色んな思いを胸に秘め、時間を過ごして頂きました。


幸いなことに、来たせいで肉が食えなくなった。という方はいらっしゃらないようで、
帰るまえに、感想を言い合ったのですが、
「来て良かった」「他の人も連れてきたい」
と言うような声しか無く、

いわゆる「廃鶏」としか呼ばれないニワトリ達が、少なくとも来てもらった方に「色んな事」を考える・感じるきっかけになったんだなぁと、嬉しく思います。

また、次回は2年後くらいになりそうですが、是非、ご参加いただければと思います。


最後にちょっと、家族で参加された方のコメントを紹介したいと思います。


今日は「鶏と麦の宴2014・幸せの鶏編」に参加してきた。

いつも普通にスーパーで買ってくる鶏肉。たまご。

でももともと、それは命だ。

自分たちで鶏を捕まえ、自らの手で命をいただき、そして自分たちの命のための食料にする。

その過程を子どもたちに見せたかった。

朝、朝食を食べながら、今日のイベントの詳細を話した。
(実は朝まで内容を話していなかったそうです。)
長男はしばらく考えていたが、俺、解体はできると思う、とぽつり。
次男は、絶対にいやだ!と耳を塞いで丸まった。

命のこと、
食べ物のこと、
自分たちの命のこと、
今日のイベントの企画の趣旨、
大好きなきぬたまごのこと、

いろいろ話すうちに

行く、と。

家族っておもしろい。

鶏を捕まえるのは平気、子どもの頃に散々鶏をつぶすところを見た父、でも、殺めることは躊躇する。

鶏を捕まえるのは、思いっきりがなくてさっぱりダメ、でも、鶏が苦しまないように、1度で命をいただく、そこは肝がすわった母。

それまでの過程を見ながら、解体はやる!と、最初から最後までがんばった長男。

怖くて怖くて、遠巻きにしていた鶏舎の中。人の後ろに隠れて見ていた逆さ吊り。でも、たまごをありがとうと、命をいただく直前に鶏に触れた次男。

それぞれが、それぞれの思いと、受ける影響の相乗効果で、前へ進んで行く。

命は
おいしかった。
とてもとても
おいしかった。

さてと。
持ち帰った鶏を、美味しく、美味しく、美味しくいただくために、
これからスープをとろう。

ていねいに、ていねいに。
命のことを思って。
美味しい食事のことを思って。


こんな風に思っていただけたようです。

ちなみに、解体した鶏は、他に玉ねぎ、ニンジン、ねぎ、ハーブも一緒にお渡しし、美味しいスープを作ってもらいました。(この見本を昼食時にうどんを入れて提供しました。)

そして上記の方はこんなことも。

「スープ、美味しくできて、命をいただいた衝撃が、この美味しさで随分和らぐというのも、面白いものだなと思います。」

実際、どういう風な感情なのか、この方しかわからないけど、私がこの文章から思うに「命を奪ったけど、それが自分の血肉に変化し、活かされてることで納得できる」という感じかなぁと思っています。

私自身、長野で新規就農する前に、飼っていたニワトリを屠殺・解体しましたが、初めて命を奪うときは、それはそれは緊張しました。
包丁を持ち、いざつり下げられた鶏の前に立ったとき。
そして鶏の首をもち、包丁をあてがったとき。
手が震えました。

そして、命を奪ったあと、肉になるまでもくもくと処理作業。
フライパンで焼いたり、炭火で焼き鳥にしたりしていただきましたが、美味しくて、命が繋がるってこんなのかぁと不思議な気分だったなぁと、今更ながら思います。

参加するまでは、相当な勇気と躊躇いとの戦いだと思いますが、是非、次回(ちょっと先ですが)ご参加ください。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://aozoratamago.blog90.fc2.com/tb.php/302-40fd5286
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad